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- 徒然文学界 -
- 徒然文学界 By bungaku.jp-
更新日:2006 1/24 [寸評/書籍]
-敦煌(とんこう) (井上 靖)-
コラム
ちいさくとも一人前。
- 略述 -
僕の手許にある直径7cmのスピーカ、ちいさい奴だけど抱く情熱はやけどするくらいに熱い。
 感動した事があります。

 いま僕の手許には直径7cmのスピーカが二つ置いてあります。某作家さんの展示作品(インスタレーションと云うらしい)の音響を引き受け、その展示の中に仕込んでやるスピーカです。つい先日我が家へやってきたこいつらは僕にいろんな事を教えてくれました。ちいさくとも一人前、そんな彼らの姿に感動したわけです。



 慣らし。スピーカにも慣らしがあります。鳴らしではありません。

 スピーカ。普段はユニット保護のため表面に布や金属のメッシュが張ってありますが、これを取ると「ああ、こいつが動いて音に変わるんだな」と云うモノが出てきます。「コーン紙」と云うモノです。壁を叩けばそこが響いて音になります。声を出せば喉が震えて音になります。スピーカの場合はこのコーン紙がさまざまに震えて音を奏でるわけなのです。

 当然動くものですから最初の内はギクシャクします。動くようにできている処(主にコーン紙とその周り)と動かなくできている処(主にフレームとかお尻の磁石の部分とか)とが摩擦を起こし巧く動かないのです。だから慣らしが必要なんです。バイクで云うとピストンとシリンダーとの関係みたいなもんです。

 バイクの慣らしはだいたい回転数の上限が(車種によって)決められています。詰まり最初から無理をさせないわけです。スピーカも最初は小さな音から再生してやります。先ず「カーペンターズ」を一昼夜ながして、それから「スティング」「コルトレーン」「ビーチボーイズ」、だいぶ慣れただろうと想うとロックなども聞かせます。バイクの慣らしで奴に様々な風の感じさせてやるように、スピーカには様々な音楽を聞かせてやります。一端終わりにしようと想った夜に「溝口肇(みぞぐちはじめ)」を聞かせ忘れたと想って翌日はわざわざ組みなおしてチェロのソロ演奏を聞かせてやります。

 日常に起こるさまざまな知覚と教育が知識や哲学と云った形で個人の人格を形成してゆくように、スピーカもさまざまな音楽を知ればそれだけ柔軟に表現の幅を広げてゆきます。勿論この世に生れ落ちた処の姿(彼らの場合で云えば仕様、素材であったり大きさであったり)は変えられません。然し己の業をしかと受け止め、それを軸に果てなく表現の模索を続ける。やがてそこに秀でた部分が突出すればそれが独自性へと昇華して一つの宇宙を描き出す。愛情を注げば必ず表情を変えて応えてくれます。勿論朝ご飯を作らなければヘソを曲げます。



 あんまり慣らしばかりもしていられないので本番の音ねたを想定してチューニングをしてみる(高音を抑えるとか、低音を強調するとか)。女の子で云う化粧みたいなもんです。

 でも僕が下手くそなのでしょう、ちっとも巧くいきません。まるで「自分の肌にファンデーションはいらんのじゃ!!」とか云っているような感じです。結局もとに戻した方が豊かな表現力を呈します。仕方なく今日は手を引きました。



 好いスピーカはヒトの気持ち伝えてくれます。

 歌い手の激情、作詞者の感動、作曲者の葛藤、編集者の想い、などなど。それはきっとスピーカがヒトの気持ちを判れるからなんでしょう。創り手が感動し、その感動に共感できるからこそ、素直にそれを伝える事ができる。舞台もそうです。音響はお客さんよりも舞台から離れています。だからより耳を澄ませ目を開けて役者の感情を見つめます。僕が感動すると音にもきっと感動が伝わるのでしょう。お客さんも感動してくれます。



 そりゃいろいろ失敗もしますけど、それでもヒトの気持ちと云うものは大事にしたいものです。

掲載日:2005 6/22

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